皆さん、お元気でしょうか。夏の季節はアメリカのほとんどの地域で猛暑が続き、外出がしづらい時期です。
ただ、夏休みみたいな長い期間の休みがあると何かしないと勿体無いですよね。今回はペンシルバニア州のフィラデルフィアに行って参りました。
観光名所あり、美味しい食事もあるので、旅行好きの人は楽しめる街だと思います。あと、街が綺麗だし、物価も他の大都市ほどではないので、住みやすそうな街だなとも思いました。
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フィラデルフィア
フィラデルフィア(英語: Philadelphia、漢字/和名:費拉特費または費府)は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州南東部にある同州最大の都市。ニューヨーク市とワシントン D.C. の中間に位置し、東海岸で2番目、全米で6番目の人口を持つ北アメリカ有数の世界都市。
1682年に人類史上初の信仰の自由が保障された街として築かれる。1776年 合衆国建国の父がこの地に集結し全会一致で独立宣言を採決、アメリカ誕生の地となる。ワシントンD.C.建設中の10年間、合衆国首都として君臨。
以降は大陸の北東部、南部、中西部を結ぶ「キーストーン(礎石)回廊」の始点、世界最大の淡水港、豊かな周辺農業地帯、高度な技術を備えた製造業、極めて高い教育水準の強みを活かし、アメリカ屈指の港湾・農業・商工業の都市として合衆国の繁栄を担ってきている。
出所: Wikipedia_ フィラデルフィア
ニューヨークにも負けずとも劣らない大都市であるフィラデルフィア。歩いてて感じたのは、少しロンドンの街並みに似ているなと思いました。綺麗でした。
地元名物フィリーチーズステーキを食べる
フィラデルフィアに来たからには、チーズステーキを食べずには帰れないと思い、早速食べてきました。
サンデーも頼んでみました。これも美味しい。
全部合わせて16ドルくらい。 他の食事もそうですが、他の大都市と比べると、飲食代はそこまで高くないと感じました。
しかし、何でこのフィリーチーズステーキはフィラデルフィアで長く親しまれているのか。気になったので調べてみました。
1930年代にこのフィラデルフィアの地で考案されて人気を博し今に至るファストフードである。創業者のパット・オリヴィエリが開いたチーズステーキ専門レストラン「パッツ・キング・オブ・ステーキ(pat’s king of steaks)」は、今現在もチーズステーキ店を代表するレストランとして人気を集めている。
フィラデルフィアの街角でホットドッグを売っていたオリヴィエリエ兄弟はある日、違うメニューを考案することを思い立ち、安いステーキ肉を薄く細かい肉片にして、細かく切ったタマネギと一緒に焼いてみたのだった。焼きあがった肉片とタマネギをパンに挟んで「ステーキサンドイッチ」として売り出してみたところ、食欲をそそる匂いに引き寄せられたのか、タクシー運転手を中心にたちまち支持を得たのだった。
地元の歴史も感じさせてくれて、まさに郷土愛に満ちたソウルフードであるこのチーズステーキだが、最近では“町おこし”の目玉としても地元では積極的に押し出されているようだ。
出所: 米フィラデルフィアのソウルフード“チーズステーキ”とは?
とてもシンプルな料理ですが、気軽に食べやすい。ハンバーガーの代わりになる様なファーストフードとかにもなりそう。屋台で出しても人気が出そうですね。
ペンシルバニア大学
ペンシルバニア大学は、アムトラックの駅前のすぐ近くにあります。コロンビアも所属のアイビーリーグの一校であり、ビジネススクールは世界有数の名門校です。
今回来るまで知らなかったんですが、ペンシルバニア大学のすぐ横にはドレクセル大学があるんですね。歩いてて大学のロゴもありました。
だから、校内では、「ペンシルバニア大学とドレクセル大学の学生は〜〜割引」みたいなのを出している店も。
広々としたキャンパスで、しかもダウンタウンにも近い。
フィラデルフィアはボストンやニューヨークよりも物価が安そうな印象を受けましたが、ダウンタウンに住んで、自転車で通学するのとか良いかもと思いました。
自由の鐘
フィラデルフィアは観光名所が沢山!最初に行ったのは「自由の鐘」です。
自由の鐘(じゆうのかね、英語:Liberty Bell)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアにあり、合衆国の歴史に大きな意義を持つ鐘の名称。英語の名称そのままのリバティ・ベルと表記されることもある。
恐らく自由の鐘はアメリカの独立、並びにアメリカ独立戦争を連想する上で、最も突出したシンボルの一つである。
また、独立、奴隷制の廃止、合衆国内の国民性と自由において最も親しみのある象徴の一つであり、国際的な自由の偶像としても用いられてきた。
最も著名な1776年7月8日のその鳴り響く音は、フィラデルフィアの市民をアメリカ独立宣言の朗読へと招集させた。それ以前に、自由の鐘は1774年に行われた大陸会議の開催を、その後は1775年に勃発したレキシントン・コンコードの戦いの始まりを知らせるために鳴らされていた。
出所: Wikipedia_自由の鐘
アメリカ、そしてフィラデルフィアを象徴とする鐘であり、観光客も沢山いました。
アメリカ革命博物館
自由の鐘から徒歩5分ぐらいの所にアメリカ革命博物館があります。何を隠そうフィラデルフィアはアメリカ独立宣言と建国をした地です。
入場料は20ドルくらい。学割があって、大学院生でも適用されます。
アメリカはフランスからの支援を受けながらイギリスに勝利し、独立する事ができた訳ですが、当時のイギリスを考えると戦力は圧倒的にアメリカより上だったのではないかといつも思っていました。
こちらも気になったので調べてみました。読んでみてこちらも納得。
明らかに不利なアメリカが勝利できた理由の一つとして、アメリカとイギリス本国との距離が離れていた事が上げられる。イギリスは援軍や物資を本国から大西洋を越えて運ばねばならず、イギリスには港湾都市から一歩離れれば兵站の問題が常に付いて回ることとなった。一方のアメリカは地方に行けば兵や食糧を補充でき、その環境に順応できた。
また、イギリス本国が戦争の情報を受け取るには大西洋を越えなくてはならず、その間に情報が2か月ほど遅れてしまうのでアメリカにいるイギリス軍の将軍が首都ロンドンからの指令を受け取る時には、軍事的な情勢が変わってしまっていたことが多々あった。
また、イギリスがアメリカの反乱を抑えようとした事で新たな問題が誘発された。植民地は広大な範囲に広がっており、戦前はそれらは一体ではなかったので戦略的に重要な地点は一つではなかった。ヨーロッパでは首都制圧が戦争の終わりを意味していたのに対し、アメリカではイギリスがニューヨークやフィラデルフィアなどの都市を占領したのにもかかわらず、戦争を終わらせる事ができなかった。
また、領土が広いということは、イギリス軍が力で制圧しようとしても広範囲を抑えられるだけの兵力が必要となる。これはイギリス軍がある地域を占領したとしても、そこを占領するための兵を置かないとアメリカの革命軍に奪い返されることを意味し、イギリスが占領を維持しようとすれば、次の作戦行動には移れないことを意味していた。
イギリス軍は戦場でアメリカ軍を叩くには十分な兵力を保持していても、その地域の占領を続けるには兵力が足りていなかった。この兵力の不足はフランスとスペインが参戦した後は、兵力をいくつかの戦線に分散させざるを得なくなり、更に大きな問題となった。
出所: Wikipedia_イギリスが敗北した要因
イースタン州立刑務所
フィラデルフィアで有名な観光名所の一つであるイースタン州立刑務所。
どうやら、刑務所でもペンシルバニア制とオーバン制と二つの制度があって、このイースタン州立刑務所はペンシルバニア制を採用していたみたいです。確かに中を観光すると、一人専用の部屋が多くありました。
アメリカ合衆国におけるペンシルベニア制(厳正独居。フィラデルフィア東懲治監が有名)とオーバーン制(昼間は沈黙下での共同作業。ニューヨークのオーバーン刑務所で1824年から実施)との争いを経て,ヨーロッパでは独居拘禁が主流を占め,アメリカ合衆国ではオーバーン制が広がった。
出所: コトバンク_刑務所
中は高い塀で囲まれています
収容されていた有名な人だと、アメリカンギャングのアル・カポネや銀行強盗で知られるウィリーサットンとからしいです。
他にも色々あります
東州立収容所に向かう途中で、ロダン美術館も見つけました。
あとフィラデルフィア美術館の近くにはあの有名なロッキーの像も!
最後に
フィラデルフィアはNYからアムトラックで1.5時間、50ドルくらいで行けます。ワシントンDCからもそれぐらいの距離です。
アムトラックは日本の新幹線みたいで、アメリカ国内の移動でよく使われます。以前、アメリカの交通手段でおすすめの会社を紹介したので、こちらも良ければ是非。
ニューヨークやワシントンDCの大学に通っている人はフィラデルフィアは近いので、旅行先として検討の価値アリです。
今回思いましたが、ニューヨークとDCにおけるフィラデルフィアの様に、留学先からアムトラックとかグレイハウンドを使ってすぐ行ける、現地で人気のある旅行先に行くのも楽しそうですね。
それでは今回はここまでで。また別の記事でお会いしましょう!